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東京地方裁判所 昭和42年(行ウ)113号 判決

原告 田中元彦

被告 国

訴訟代理人 樋口哲夫 外五名

主文

被告は原告に対し一、八四六万七、二六八円及びこれに対する昭和三八年三月六日からその還付のための支払決定の日にいたるまで日歩二銭の割合いによる金員を支払うこと。

原告が芝税務署長の昭和三八年四月一六日付督促に係る延滞税額一二五万五、六五〇円の納付債務を負担していないことを確認する。

原告その余の請求を棄却する。

訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の申立て

(原告)

「被告は原告に対し一、八四六万七、二六八円及びこれに対する昭和三八年三月六日から完済にいたるまで日歩二銭の割合いによる金員を支払うこと。」及び主文第二、第四項と同旨の判決並びに金員の支払を求める部分につき仮執行の宣言

(被告)

「原告の請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決並びに仮執行免脱の宣言

第二原告主張の請求原因

原告は、昭和三六年中二、九七五万六〇二円の株式売買所得があつたが、該所得は当時の所得税法六条六号イ、九条八号並びに同法施行規則四条の三第一、二項の規定により非課税とされていたのでこれを除外し、同年分所得として、昭和三七年三月一五日所轄芝税務署長に対し、配当所得六〇〇万二、八五四円、雑所得(原稿料)八、三三三円、給与所得八八六万九、九九二円と確定申告したところ、右株式売買の行為地を管轄する日本橋税務署の所部職員が原告の秘書桑島敏明に対し右株式売買所得を課税所得として申告すべき旨を勧奨したことから、桑島はその旨誤信し、原告に無断で確定申告に係る各所得の一部申告洩れもあわせて、昭和三八年三月五日同税務署長を通じ配当所得六二九万三、七八八円、雑所得(原稿料、株式売買所得)二、九七五万八、九三五円、給与所得八八六万九、九九二円と修正申告し、即日増差税額一、八五二万二九〇円を納付し、芝税務署長は、原告に対し同年四月一六日付でその延滞税額一二五万五、六五〇円の督促状を発給した。かくして、原告は、事の次第を知るにいたり、芝税務署、東京国税局長及び国税庁長官に対して上申書や嘆願書を提出し、みずからも出向いて担当係官等に説明し、善処方を訴え、その間昭和三七年分の株式売買所得については、更正処分に対する審査決定によつて原告の主張が認められたが、昭和三六年分のそれについては、国税局審査課長補佐から原告の要請に応じられない旨の連絡があり、国税局長も、昭和四二年六月一日付書面で、「申告した国税については国税通則法第七〇条第二項の規定により法定申告期限の日から五年を経過する日までは減額更正を行うことができることになつていますが、あなたの場合は、すでにその五年の期間を過ぎていますので、もはや減額することが出来ないことになります。」と回答し、該納付金の返還を拒否するにいたつた。

しかし、右納付金は、前記の理由によつて明らかなごとく、誤納金であつて、原告に還付されるべきものであるから、原告は、被告に対し右一、八五二万二九〇円から配当所得の申告洩れ二九万九三四円に対する税額五万三、〇二二円を控除した一、八四六万七、二六八円及びこれに対する納付の日の翌日である昭和三八年三月六日から完済にいたるまで国税通則法所定の日歩二銭の割合による還付加算金の支払いと前記増差税の延滞税額納付債務の不存在確認を請求する。なお、仮りに、右金員の支払いを求める請求につき、誤納金としての還付請求権が認められないとしても、被告が法律上の原因なくして一、八四六万七、二六八円を利得し、原告に同額の損失を及ぼしていることは否定しえないところであるから、被告は、原告に対し不当利得金として右一、八四六万七、二六八円及びこれに対する昭和三八年三月六日から完済にいたるまで民法所定年五分の割合いによる遅延損害金を支払うべき義務があること明らかである。

なお、被告の表見代理の抗弁に対し、一般私法における代理の法理は、修正申告のごとき私人の公法行為についてそのまま適用されないばかりでなく、たとえ被告主張のごとき事実があつたとしても、原告の昭和三六年分株式売買所得のごとき税法上疑義のある、しかも、相当多額の所得の取扱いに関しては、税務署長として電話連絡等によつて直接本人の意思をたしかめるのが当然であり、また、それをなしうる事情にあつたにもかかわらず、日本橋税務署長は、その挙に出ることなく、桑島とのみ折衝し、漫然と、同人の提出した修正申告書を受理し、増差税額を収納したのであるから、被告の右抗弁は、その理由がない。

第三、被告の請求原因に対する答弁

原告主張の請求原因事実のうち、修正申告及び増差税額納付が桑島の無権行為であること、また、原告の昭和三六年分株式売買所得が非課税所得に該当することは否認するが、その余の主張事実はすべて認める。

右修正申告及び増差税額の納付は、いずれも、桑島が原告の履行補助者もしくは使者として行なつたものであり、仮りに履行補助者としての行為でないとしても、一、八〇〇余万円もの多額の金員が原告の富士銀行銀座支店口座を通じて納付されていることやまたその後原告から返還方の陳情書等が出されていることからみて、原告は予め納付の必要を認めて桑島に代理権を授与し、然らずとしても、爾後の桑島によるこれらの行為を追認したものというべきである。また、百歩を譲り、適法な代理行為でなかつたとしても、桑島は、秘書として原告の日常の事務につき広範な代理権を有しており、現に昭和三六年分の所得税の確定申告について代理権を有していたことは原告の認めて争わないところであり、しかも、同人が原告の所得税の申告につき度々税務署に出頭して所部職員の調査質問に応答し、殊に、昭和三八年二月下旬修正申告の勧奨を受けた際、何らの異議もとどめることなくこれを了承し、数日後修正申告書を提出して増差税額の納付に及んだことから、当該税務署長が右修正申告及び増差税額の納付につき同人が原告の代理人であると信じ、かつ、かく信じたことに正当な理由があつたのであるから、表見代理行為として法律上の効力を失わないものというべきである。

なお、仮りに、原告の昭和三六年分株式売買所得が原告主張の非課税所得に該当するとしても、右修正申告は、法定納期限たる昭和三七年三月一五日より二か月を遙かに徒過した昭和三八年三月五日になされたものであるから、その申告と同時に税額がそのまま確定し、爾後減額更正等の救済を与える余地は残されていなかつたこと明らかである。

第四証拠関係〈省略〉

理由

原告が昭和三六年中株式売買によつて二、九七五万六〇二円の所得を得ていたこと、原告の同年分の所得税について、右株式売買所得を除外した確定申告書が所轄芝税務署長に提出された後、右株式売買の行為地を管轄する日本橋税務署の所部職員より原告の秘書桑島敏明に対し右株式売買所得を申告すべき旨の勧奨があつたところから、同人が右所得を雑所得に加算した原告主張のごとき内容の修正申告書を日本橋税務署長に提出し、即日増差税額一、八五二万二九〇円を納付したことは、いずれも、当事者間に争いがない。

そこで、右修正申告及び増差税額納付行為の効力について判断するのに、成立に争いのない甲第三、第六号証、乙第五ないし第九号証、乙第一一号証、証人内山信美、大橋四郎次、白井登、桑島敏明(第一、二回)、三岳博輔の各証言及び原告本人尋問の結果によると、次の事実を認めることができる。すなわち、原告は、日本ナシヨナル金銭登録機株式会社の副社長で筆頭株主でもあるところから、昭和三五年同社の株式が一般に公開されるにあたり、これに供される株式数が少なくて株価の変動が避けられないことを恐れ、これを防止するために、自己の所有する同社の株式三万株を金十証券株式会社に預託して株式の売買を行なうようになつたが、同社の株式課長三岳博輔の見解や「所得税の確定申告の手引」等によつて、右のような目的のために行なわれる株式の売買による所得は、営利を目的とする継続的取引による収入ではないから、当時の所得税法六条六号イ、九条八号並びに同法施行規則四条の三第一・二項所定の非課税所得に該当するものと判断し、現に昭和三五年分の所得税確定申告書にも株式売買所得を計上しなかつたがそのまま申告が確定したこともあつて、昭和三六年分の所得税の申告に際しても、右の考え方に間違いがないものと確信しており、また、そのご後記叙説のごとく税務署側ではこれに課税する意向であることを聞知するにいたつたとはいえ、本人に対する呼出し等がなかつたところから、事態はそのまま落着したものと考えていたこと、ところが、日本橋税務署では、右のような目的のもとに行なわれる株式の売買であつても、売買の回数が五〇回以上で、しかも、売買数量が二〇万株以上のものについては、その売買による所得に対し雑所得として課税することに踏み切ることとし、同署職員内山信美が原告の株式売買をしていた金十証券の社員を通じて前記三岳に出頭方を求め、同人と桑島に対し、再三にわたり、原告の株式売買は右の基準を上回つているので課税せざるをえない旨を説明し、昭和三五年分については看過すこととするが、昭和三六年分については修正申告書を提出するよう強く勧奨したところから、桑島は、原告本人が課税されないものと固く信じていることを熟知していたとはいえ、若し右の勧奨に応じなければ、過年度分についても更正されるばかりでなく、重加算税を賦課されたり滞納処分が敢行されて、原告の名誉、信用が失墜するのはもとより、税務調査によつて、同人自身が原告の金十証券の取引口座を利用して株式の売買を行ない、穴をあけている事実が原告に暴露するのを恐れ、幸い、長年原告の私設秘書として比較的自由に原告の印鑑を使用したり預金の出入れをなしうる地位にあり、しかも、それまでに金十証券等の話しにより税務署側の意向を察知して訴訟をしてでも争う肚を決めていた原告から、万一に備えて「供託金」を準備しておくように命じられていたこともあつたので、真に原告の株式売買所得が課税の対象となりえないものであれば納付金はたやすく返還してもらえるものと軽信し、原告に無断で、前叙のごとく、昭和三八年三月五日日本橋税務署長に対して修正申告書を提出し、また、あらかじめ原告名義で富士銀行銀座支店から手形貸付で融資を受けていた一、〇〇〇万円と金十証券の原告の取引口座残高から八五二万二九〇円を流用して、即日、増差税額一、八五二万二九〇円を納付したこと、原告は、前叙のごとく芝税務署長から昭和三八年四月一六日付の延滞税督促状を受けるに及んで、右の事実をはじめて知り、原告主張のごとく、数回にわたり芝税務署長や東京国税局長又は国税庁長官に宛て嘆願書、上申書等を提出し、みずからも出頭して原告の株式売買所得に対しては課税の許されない旨を訴え、善処方を要請し、その間、昭和三七年分の株式売買所得については、更正処分に対する審査決定によつて原告の主張が認められたが、昭和三六年分のそれについては、東京国税局長から原告に対し、昭和四二年六月一日付書面で、株式売買の回数、数量から判断して課税の対象とせざるを得ず、また、更正の除斥期間経過後に修正申告書が提出されているのでその申告額を減額する方法がない旨の回答があつた(これらの事実は、被告の認めて争わないところである。)ことを認めることができ、右認定を左右するに足る証拠はない。

しかして、以上認定の諸事実によれば、桑島が日本橋税務署長を通じて原告の昭和三六年分株式売買所得についてした修正申告及び増差税額の納付は、いずれも、原告不知の間に、かつ、その意に反してなされたものであり、その後原告がこれらの無権行為を追認したと認めるべき証拠もないから、原告に対して法的効力を生ずるに由ないものというべきである。もつとも、前掲証拠によつても、原告は、税務署長や国税局長等との交渉において桑島の無断行為の点を主張した事実のないことを認めることができるが、右の点が納付金の返還を求める唯一の事由であるわけではなく、また、芝税務署に提出された原告名義の上申書(前掲乙第六号証)は、前記三岳が原告に諮ることなく自己の見解のみに基づいて作成したものであること、同証人の証言によつて明らかであり、また、東京国税局長宛に提出された説明書(前掲乙第五号証)や嘆願書(前掲甲第六号証)についても、原告本人尋問の結果により、これと同旨の事実を認めることができるので、右の一事をもつて前記認定を妨げる資料となしえないことはいうまでもない。

また、被告の表見代理の抗弁について判断するのに、およそ、修正申告は、申告期限経過後に確定申告に係る課税標準及び税額を増額することを目的とする追加的申告ではあるが、もとより、申告納税方式における一種の納税申告として、租税債務の内容を具体的に確定させる納税者たる私人の公法行為であつて、修正申告及びこれに基づく増差税額の納付については、税務官庁の処分を必要としないところであるから、法律行為その他これに準ずべき私法行為の代理に関し取引相手方保護のために設けられた民法一一〇条の表見代理の規定は、その適用がないものと解するのが相当であり、したがつて、被告の右抗弁は、採用の限りでない。

されば、前記増差税額の納付は、国税通則法五六条一項所定の過誤納金に該当し、被告は、原告に対し、右金員と、同法五八条一項の規定に従い、これに対する納付のあつた日の翌日からその還付のための支払決定の日にいたるまで日歩二銭の割合いによる還付加算金を還付すべき義務があり、また、原告は、前記督促に係る滞納税額納付債務を負担していないものというべきである。

よつて、原告の金員の支払いを求める請求は、前記増差税額一、八五二万二九〇円の一部たる一、八四六万七、二六八円及びこれに対する同増差税額納付の日の翌日であること当事者間に争いのない昭和三八年三月六日からその還付のための支払決定の日にいたるまで日歩二銭の割合による金員の支払いを求める限度において理由があるのでこれを認容し、右限度を超過する部分は、理由がないので棄却し、また、延滞税額納付債務を負担していないことの確認を求める請求は、正当としてこれを認容することとし、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条を適用して、主文のとおり判決する。なお、原告は、金員の支払について仮執行の宣言を求めているけれども、該宣言を付することは相当でないと認めるのでこれを付さないこととした。

(裁判官 渡部吉隆 園部逸夫 渡辺昭)

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